…我々は日本を発見するまでもなく、現に日本人なのだ。
我々は古代文化を見失っているかも知れぬが、日本を見失う筈はない。日本精神とは何ぞや、そういうことを我々自身が論じる必要はないのである。説明づけられた精神から日本が生れる筈もなく、又、日本精神というものが説明づけられる筈もない。日本人の生活が健康でありさえすれば、日本そのものが健康だ。
彎曲(わんきょく)した短い足にズボンをはき、洋服をきて、チョコチョコ歩き、ダンスを踊り、畳をすてて、安物の椅子テーブルにふんぞり返って気取っている。それが欧米人の眼から見て滑稽千万であることと、我々自身がその便利に満足していることの間には、全然つながりが無いのである。
彼等が我々を憐れみ笑う立場と、我々が生活しつつある立場には、根柢的に相違がある。我々の生活が正当な要求にもとづく限りは、彼等の憫笑(びんしょう)が甚だ浅薄でしかないのである。
彎曲した短い足にズボンをはいてチョコチョコ歩くのが滑稽だから笑うというのは無理がないが、我々がそういう所にこだわりを持たず、もう少し高い所に目的を置いていたとしたら、笑う方が必ずしも利巧の筈はないではないか。
当時、僕は中学生でした。プロレスが大好きで、お金を貯めては会場に行き、声を枯らしました。
自分の中では当然の流れとしてプロレスラーを目指し体を鍛える日々。
そんなさなか、この本に出会いました。
正直プロレスが自分の中で一気に冷めていくのが分かりました。
あんなに好きだったプロレスに何の興味も沸かなくなった。前の興奮が嘘みたいになくなって、試合の結果なんか気にしなくなった。結果的にこの本は僕からプロレスを奪ったんです。
そりゃね、中学生だってガチンコじゃない事くらいわかりますよ。
ただこのプロレスのグレーゾーンが重要なんです。絶妙なバランスを保ちながらガチンコに近い興奮を味わえる。その興奮に加え、試合がドラマチックに彩られるんだからこんな面白いエンターテイメントはないと思いますよ。
でもこんな形で暴露されたら絶妙なバランスがぶち壊れてしまう。プロレスの興奮材料がなくなる訳です。筆者は格闘技を装った嘘を続けていくのか…と言ってますが、その‘嘘’がプロレスの醍醐味でしょう!?アメリカを例に出してましたがそもそも国民性が違うよ。ショーを公言されたところで前の興奮に戻れますか?もう戻れないところまで日本のプロレスは来てる。
ただグレーゾーンの先にプロレスの未来はないとは思う。なぜならもう頭打ちだからです。これ以上激しくなりようがない。グレーゾーンの限界まできてる。
プロレスは進化がないと飽きてしまいます。
だから本当にプロレス界を思うならこんな暴露の仕方でプロレス界を変えるんじゃなくて、もっと違うアングルからグレーゾーンのプロレスの見せ方を変えて、日本独自のエンターテイメントに発展していけばいいんですよ。
僕からプロレスを奪い、金儲けの為に出したこの本を僕は呪います。
生活枕:
収入の少ない売れる前のタレントを、事務所の知り合いである金持ちに面倒を見てもらうこと。 特定の人間だけを相手にするため売春をしているという意識は少なく、枕のとっかかりとしては入りやすい。事務所は、ここからそのタレントのレッスン料やプロモーション費用を捻出する。落ち目のタレントは、これが主な収入源になることもある。売れてきたタレントは、スポンサー筋の愛人に納まることが多い。
枕営業:
仕事をもらうために番組のPやDやMC、スポンサー等と寝ること。事務所がセッティングすることが多いが、個人枕もある。ひな壇アイドルはコミュニケーションと称して番組終了後、スタッフとの乱交パーティーに呼び出されることも少なくない。
スポット:
業界の有力者や事務所と関係がある金持ちの指名により単発でする枕で、いわば高級コールガール。有名女優だと、一度で何百万円もの報酬が得られる。
接待:
事務所の便宜を図ってもらうため、VIPや先生と呼ばれる人に対して行われる枕。タレント個人への直接的見返りは無い。
フルーツ:
接待要員。事務所にいいように使われていて、売り出しに力を入れてもらえないことが多い。
>kifimikefeme/2616
マリー・アントワネットの公開出産についてですが、
>なんでもアントワネットの出産時、ベルサイユ宮殿に多数の庶民が押し掛け大騒ぎになったそうです。
>生まれた子も「この子は万民の子である」と庶民にお披露目もしたそうです
マリー・アントワネットがショックを受けたということは、少なくとも当時のハプスブルク家では、王妃の出産を公開する習慣はなかったのでしょうね。
昔読んだ本に書いてあったのですが(フランス人が書いたものの和訳本)、昔からフランスでは「王家は国民のもの」という意識が伝統的にあって、それで、歴代の王妃の出産を民衆に公開していたのだそうです。…いやな伝統だわ(苦笑)。
こういった伝統のない他国から嫁いできた王妃は、さぞ不愉快だったことでしょう…。
これをクリアしてこそ、晴れてフランス王家の一員になれるってことだったりして?
でも、この「王家は国民のもの」という考え方があったからこそ、フランス革命のときも、最初はヴェルサイユからパリに連れて行かれた(というか、民衆にしてみたら「連れ戻した」)だけで済んだ、といういきさつもあったらしいです。
国外逃亡という、決定的な「国民への裏切り」さえなければ、少なくともルイ16世は処刑されなかったかもしれない、国民も本当はそこまでは望んでいなかった、という話を聞いたことがあります。
ちなみに、ルイ13世の王妃アンヌ・ドートリッシュも、当然ながら、伝統に則って公開出産したらしいです。
だから、大デュマが「鉄仮面」で描いたような、「ルイ14世の秘密の双子」は存在するはずがない、ということになるらしいです。
…うーん、ロマンがなくなっちゃうなあ…。
でも、そう考えると「王位継承の正当性を示すため」の公開出産って、王家では必要なことだったんですね。
フランス王家では、いったいいつ頃から公開出産にしていたんでしょうね?
正当性を否定された王太子といえば、百年戦争とジャンヌ・ダルクで有名なシャルル7世を思い出します…。
(2004/ 9/19)
” 公開出産5 検察官(宮城県) :2010/10/06(水) 15:10:50.08 ID:OGpZ+ztr0
質問の原稿も官僚が書いてるの?
16 火狐厨(兵庫県) :2010/10/06(水) 15:14:09.46 ID:ncUwkx4L0
»5
そりゃ当たり前だ。じゃないと国会答弁なんて時間がいくらあっても足りないだろ。
政治家の意向に沿って官僚が質問を作って、それを見せて官僚に答えを作ってもらう。
基本的に国会は民主主義の形式を担保するための茶番劇だよ。
縦の時間軸によるすべき事、横の社会によるすべき事。気がつかなければそれでいいのですが、ある日気付いてしまう人がいます。それは自分がやりたい事とすべき事がぶつかってしまった人です。
ともするとこういう話は、真面目な日本人が考えると、じゃあやりたい事があるべきなのかという話にもなりますが、やりたい事なんてなくたってもいいんです。それだったら、目の前にあるやるべき事を淡々とやればいい。もし死ぬまでやりたい事が見つからなくたって、そういうじんわりとした人生もいいと思います。
選択肢が多すぎて、選べなくて立ち往生する人もいますが、そういう人もちゃんと世界を区切れるようにすればいい。
ようは、こうでなければいけないという型に持ち込みがちな文化が、人を押し殺しているのではないかという事なのです。型にはまりたければはまればいい。けれどもはまりたくない人ははまらなくてもいい。なにか全体を包む、こうでないといけないよね普通の人は、という空気が息苦しさの原因なんではないかと思うのです。
” 『すべき事』の整理 - 侍ハードラー 為末大オフィシャルサイト――有名な逸話だけど、「孫のために」と改変されているところに、超高齢化社会的な圧力を感じるなあ。“神さまがロバを創ると、ロバに言いました。 「おまえはこれから日の出から日の入りまで重い荷物を背中に背負い、草を食べ、知能は持たず、そしてロバとして50年生きるのだ」 ロバは答えました。 「私はロバになりますが、でも50年は長すぎます。20年にしてもらえないでしょうか」 神さまはそれを聞き入れて、ロバに20年の寿命を与えました。 神さまが犬を創ると、犬に言いました。 「おまえはこれから人間の家の番をし、男の親友となり、与えられるものは何でも食べて、犬として25年生きるのだ」 犬は答えました。 「神さま、25年も生きるのはちょっと長すぎます。10年にしてもらえませんか」 神さまはそれを聞き入れて、犬に10年の寿命を与えました。 神さまはサルを創ると、サルに言いました。 「おまえは木の枝から枝へと跳びまわり、バカバカしいことをしながら、おどけものとなって、サルとして20年生きるのだ」 サルは答えました。 「神さま、20年も生きるのは長すぎます。10年にしてもらえませんか」 すると神さまをそれをお聞きになってサルに10年の寿命を与えました。 そして神さまは、最後に人間を創りました。 「地上では唯一理性的で、知能を利用して他の動物をコントロールし、世界を支配し、人間として20年生きるのだ」 すると男は答えました。 「神さま、20年と言うのは短すぎます。ロバがいらないと言った30年、犬がいらないと言った15年、サルが拒否した10年分を私に頂けませんか」 すると神さまはそれを聞き入れて、その通りにしました。 そして人は人として20年を過ごしたあと、結婚してロバのように重荷を背負って30年働き、子どもたちが出て行ってからは犬のように家を守りながら与えられた物を食べて15年生活し、定年退職してからはサルのように家から家へと子どもの家を転々として、孫のためにおどけながら10年生きていくことになったのです。”— らばQ:人として生まれて良かったのかな…というお話 (via yasunao) (via gkojax) (via kudan) (via wnw45) (via jinon) (via gutarin)
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――親や上司や教師といった権力者が、こういった価値基準で弱者を裁く状況は多々あるよね。むしろ実生活で厄介なのは、権力者がそういったマイナス思考に囚われることなわけで。自分の思考は自分で変革できても、他人のそれは変えられんからね。“旧来マイナス思考と呼ばれた物のうち、心理学的にも有害と見なされているもの:
《全か無か思考》両極端な評価しかできない。完璧でないと認めない。
《破局的な見方》ちょっとしたことでも大きな災害にように大げさに考えてしまう。
《過度の一般化》一度かせいぜい数回程度の経験から、それが繰り返し起こると勝手に決め付けること。
《選択的抽出》一部の否定的情報だけを選び出して、他の情報は全く無視し勝手に物事を決め付けてしまう。
《ポジティブな側面の否認》成功しているのに、その中からわざわざダメな部分を探し出してくる。
《誇大視と極微視》物事を極端に誇張したり、逆に矮小化して捉える。双眼鏡的歪曲ともいう。 《感情的論法》物事が事実である証拠として自分の感情を引き合いに出してくる。
《「すべき」表現》”~すべき”“~しなければならない”と自分を駆り立てる。罪悪感で人を動機付けしようとする。
《レッテル貼り》誤りや不完全さを理由に、まるでそれがその人そのものであるかのように否定的な人間像を作り出すこと。
《自己関係付け》自分とは何の関係もない出来事を自分にとって意味があると考えること。
《独断的推論》事実と違う、あるいは全く事実無根の否定的な結論を独断的に引き出すこと。 以上のような、徹底的な分析と抽出により、あいまいさ・拡大解釈を排除している。
この概念があればマイナス思考という隙のある言葉は要らない。”— http://lifehack2ch.livedoor.biz/archives/51088136.html (via loveyorilike) (via plasticdreams) (via burnworks) (via motomocomo) (via yellowblog) (via lunarlunatic) (via tessar) (via gkojaz) (via yaruo)
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